連続立体交差化・複々線化事業前の梅ヶ丘駅

きょうは梅ヶ丘駅です。この駅前ロータリーのケヤキで一悶着ありましたな。
実はこの写真撮ったあと一度も梅ヶ丘駅に降り立ってないですけど、どうなっているやら。

Umegaoka1
Umegaoka2
Umegaoka3

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連続立体交差化・複々線化事業前の成城学園前駅

今日は成城学園前駅です。個人的に思い入れの強い駅でもあります。この写真は1988年くらいなのですが、まだ上りホームも上屋の延長もされておらず、点字ブロックも6両分だけなどかなり懐かしい写真です。今見ると上りホームの小田原寄りはこんなにも狭かったんだ!とかおもいますね。停車中の電車が3列車とも2600形なのもいい感じです。当時はなんとなしに撮ったスナップですが、こういう写真があとあと結構印象的になったりするものです。

Seijo
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久しぶりのBlog 渋沢駅通過のSE重連

だいぶ更新が滞っております。
そろそろ更新再開の気分。

Seshibusawa_3

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小雪降る地上時代の和泉多摩川駅を通過するSE車

またまた、SE車ですが、懐かしい人には懐かしい、地上線時代の和泉多摩川駅です。いまでは想像しがたい感じですが、個人的には各停8両化の際に延長したホームがいかにも「仮設」のちゃちい作りで点字ブロックすらないこの感じ、特に足場材のような柵の緑のキャップが印象的でした。(狛江駅も同様の作りでしたが。)

Izumise

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大井川鉄道のSE車と千頭駅東側側線の謎

昨日に引き続き大井川鉄道です。大井川&小田急と言ったらSEは外せないので家山駅留置中のSEを載せておきます。当時でもすでに休車に近い状態だった気がします。思えばこのとき小田急に戻していれば海老名にはこいつが入っていたでしょうな。(未更新だった訳ですから。)
ところで、大井川鉄道といえば個人的にずっと気になっていることがあります。それが2枚目の写真です。これは千頭駅の東側(川側)にあった側線でのSL動態保存の様子ですが、正直、当時から小田急バカであった自分としてはさほどこいつに興味はなく適当に撮った1枚なわけですが、これが以外にネット上にもあまり情報もなく、側線はいったいどんなものだったのか、いまは日本工業大にいるB6が大井川で動態保存されていたときはここを走っていたはずですが、そのあとにこのような形で継承されていたのか、さらに写真にも写っているように762mmとの3線軌条となっており、写真の手前には西武山口線からきたっぽいバッテリーロコとその客車が置かれていました。いったい、ここの区間をどうするつもりだったんでしょう。ホント記憶が飛んでいます。まぁ、ここも駅前整備で道路となってしまっています。

Ohigawase
Ohigawaminisl1

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大井川鉄道モハ1906(小田急デハ1906)

地方私鉄が続きますが、きょうは大井川鉄道(1990年代のHPなので鐵道でなく鉄道としています)。小田急からは有名なSE車のほかに1900形も譲渡されていて北陸鉄道6000の牽引用でした。結局いつも新金谷のここから動くことなく、動いている姿を見ないうちに新金谷の側線に送られて解体されてしまいました。

Ohigawa1906

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新潟交通白山前駅

きょうは小田急を離れて、でも小田急つながりで新潟交通です。もちろん、新潟交通には2200形はもちろん、小田急1400の車体も数多くいっており、小田急バカとしてははずせない訪問先だった訳ですが、とりあえず新潟交通といえばココ!!ということで県庁前改め白山前駅の風景です。白山前駅の写真はネットでも多く紹介されており、いまさら状態なので、ホーム側ではなく正面?側や内部の写真も載せてみました。道路にあるエンドレールがちょっと素敵です。ちなみに、朝に1本だけあった3連がはみ出して止まっている写真がどこかにあったハズなのですが、見当たらないのが残念至極です。

Niigatahaku1
Niigatahaku2
Niigatahaku3

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5000形4連急行小田原行き

以前に逆10両の件は書きましたが、その逆10両は、相模大野から先は4連の急行小田原行きとなりました。いまではほとんどの急行が10連のまま小田原まで行く時代ですが、多くが6連急行時代の当時は日中でも結構混んでおり、海老名ー本厚木間などはものすごい混雑のこともありました。で、そんななかにこんな4連急行が来る訳ですからそれはそれはすごいことになっていました。いまでは相模大野ー本厚木間で4連急行などはありえないわけですが、1990年代までこんな奴が残っていたのですから時代を感じますね。

5000exp4

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90年頃の開成駅

昨日は90年頃の開成駅の遠景でしたが、今日はちかくでの写真です。そもそも開成駅は1985年開業だからこのころはまだ開業から数年しか経過しておらず、「なぜここに駅あるの?」状態でした。とくに今の東口に相当する階段は閉鎖されており、はっきりいって何もない状態でした。いまのマンションが立ち並ぶ光景や電留線ができ、NSEが保存されるなどは想像すらできない状態でした。2600形NHEのさよならイベントも開成で行われたみたいですが、最近しか知らない世代にはちょっと衝撃に光景かもしれません。

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90年頃の開成駅周辺

そろそろ、ブログ更新を再開しようかと準備中だったりしますが、とりあえずリハビリということで、何でもない写真を。開成ー栢山間を走る8000形6連の急行ですが、このまえひさしぶりにこの区間を乗ったのですが、すごい変わりようですなぁ。もちろん、開成に留置線があることは頭で理解していても実感はないし、だいたい留置線ある側はこのころは通路自体閉鎖されてましたからねえ。
この広い空と田んぼがすごく魅力的な区間だったんですけどね。
そういえば、ここから富水くらいまでの区間は直線部も最後までロングレール化が遅れた区間でその割に速度出るところだから結構アルストムリンク台車の独特の揺れと振動と音が印象に残っていたりします。
ここを快調にカタンカタンと走る8000形がけっこうお気に入りだったんですけど、すでに8000形も6連は大多数はVVVF化され、別形式?みたいですし、そんなちょっとしたことも記憶の彼方でしょうか。
しかし、ここで撮影した5000形4連の急行の写真はどこにいったんだか。。。

Kaisei8000

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3000形SE車の涙雨

ここのところ、SEばかり載せているので調子に乗って、あとちょっと。伊勢原駅での20000形RSE試運転列車を追い抜くSEあさぎりはご覧の通り、冬の雨の日に通過列車を撮影するという最悪の条件でしたがなんとかISO1600のフィルムでおさえた1枚です。20000形試運転とSEあさぎり営業列車との離合を捉えることはサンデーカメラマンには簡単なようで以外と難しかった記憶があり、わたしもこんなものしかありません。当然このときも、RSEが伊勢原駅のホームをはみだすことは当たり前であるため(ホームは6両対応でしたから)駅撮りも無理で、踏切からのアングルもここしかないこと承知でこれに挑んでいますが、今見るとこんな写真もいい思い出かな。
そういえば、このころはまだ伊勢原駅の貨物ホーム側の線路も健在でしたなぁ。いまはどうなっているんでしたっけ?
のこりの2枚はおまけですが、連絡急行時代のあさぎりは小田急の乗務員で運転してたんですよねえ。これって、けっこうすごいことな気がしますね。
Serseisehara
Seatsugi
Seyamakita

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3000形SE車ラストラン

前回紹介した写真は雪で延期になった前日の写真ですが、今回の写真は本当にラストランのイベントのときのものです。正直、「さよなら」系の大騒ぎになるイベントは嫌いなのですが、SE車となると別問題でいろいろと悩んだ結果、混乱状態になりそうな新宿駅や有名撮影場所は避け、個人的な勝手な印象「晩年のSE車=多摩線」ということで多摩線の穏やかそうな場所。栗平付近で撮影しました。今回の写真はあえてトリミングなどしていませんがこの辺りでの撮影者はあと2、3人でした。最近はちょっとしたイベントでも殺伐としているとの話もありますがどうなんでしょうね。
そして、イベント後の経堂への回送を黒川の有名ポイントで撮影しました。確かこのときは3人くらいしか撮影者はおらず、平和そのものでした。わたしとしてはこの写真がSE車走行風景最後の撮影でした。
ご覧のようにSE車を追いかけてきた者として、SE車引退はポッカリ気持ちに穴があいた感じがしたものです。ただ、さよならの混乱が起きる前に連絡急行として「普通に」あさぎり運用についていた頃を知っていることは、幸せなことだと思っています。一度、海老名のSE車を見てみたい気もしますがイベント混雑すごいみたいですし、なによりSE車は思い出のなかにあってこそかも。。。。
Selast1

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Selast3
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3000形SE車最後の雪

この写真は週末のさよならイベントのために前日に回送される写真を新百合ケ丘でとらえたものですが、すでに大雪の予感で、案の定、当日は大雪。イベントは延期で唐木田留め置きになってしまいました。
Seyuki1
Seyuki2

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サンリオピューロランド号のHiSEとHiSE3本

きょうは、HiSE10000形が入ったサンリオピューロランド号です。そして、新百合ケ丘に留置中になんと、遠景ながら、HiSE10000形3本を1画面にとらえました。こういう瞬間を撮れたときはちょっとうれしいですよね。まぁ、いまHiSEは2本になってしまいましたのでもう撮影は絶対に無理になってしまいましたな。この当時、まさかHiSEがこんなに早く廃車になるなんて想像もしませんでしたが。。
Hisesp
Hise3
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解体中の3000形SE車

SE車の廃車後の解体中の様子です。このころは解体は大野で行われており、このように外からよく見える状況でした。解体待ちのSE車と大野に居たときの保存車2201も懐かしいですな。
Sekaitai
Se2201

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371系と富士山

梅雨空が続きますが、たまにはすかっと晴れた富士山をみたいですね。
371fuji

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東急車輌に行ったデニ1301と1000形新造

以前に海老名のデハ1406とデニ1303を紹介しましたが、荷電でも今日の写真は結構レアじゃないかと自分では思っているものです。東急車輌の正門は現在では写真撮影禁止らしいですが、当時は禁止だったかもしれませんがあまりうるさいことは言われませんでした。
1000形の新造甲種輸送のある数日前にたまたま東急車輌に行ってみると1000形が表から見えるところまで出てきていました。おまけに貫通扉の帯がまだ未施工で最後の仕上げといった感じでしたし、今はなき「快速」表示でした。(快速表示は工場のシャレかな?)
しかし、見るべきところはそれだけではなく、元小田急デニ1301こと入換車モニ105がめずらしく出てきている状態でした。ということで「小田急1000形と1300形の奇跡の並び」ということで今見ても結構貴重かと思っています。なにせ3年後にはモニ105は解体されていますし、モニ105自体の写真をあまり見かけませんしね。まぁ、現役当時から忘れられたというか、影の薄い存在の車両でした。


10001300
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SURF90と5000形

7月になり夏ということで、1990年の夏の一コマを。SURF90というイベントだったかキャンペーンをこの年やってまして、5000形の側面にもこんなシールが貼ってありました。当然当時は、江ノ島線の急行といえば5000形4連が主力な訳で、当然の選択でした。もちろん、しばしばこのシールつけて多摩線にも入ってましたが。でも、今考えると江ノ島線の急行がよく4連でまかなえていたなぁという気がしますね。まぁ、当時も大混雑だった訳ですが。。。
しかし、ランプ選択式の種別表示器もなつかしいですなぁ。

5000surf90

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20000形RSEブルーリボン賞

昨日の下北沢通過に引き続いて、RSEのブルーリボン賞受賞のときの写真です。個人的には今でもあまり好きではない20000形ですが、とりあえずイベントごとなんで押さえていました。前面表示が「BR賞」「祝」の交互表示になっているところがポイントですね。
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20000形ブルーリボン賞受賞、その日の下北沢

ひさしぶりの復活です。最近、仕事が忙しすぎて更新もままならない状況でした。Blog毎日更新の方々には頭が下がる思いです。(まぁ、写真をスキャンするのがそれなりに面倒なこともあるのですが。。。)
ということで、きょうは、ブルーリボン賞受賞の日の20000形です。
ここの下北沢ー東北沢間の上り線も7月に仮線に切り替えみたいですが、1992年当時はこんなに民家がせまっていたんだなぁ、と改めて思いますねえ。下北沢が地下線になると寂しくなりそうだなぁ。まぁ、明らかに手狭な駅が解消することはいいことなんですけど。。。

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相鉄地下化工事真っ盛りの大和駅

今日は珍しく、江ノ島線です。なんか、江ノ島線には縁がなくというかどうせ電車乗るなら小田原まで行きたいなんて変な願望もあったりして、とにかく江ノ島線の写真は少ないのですが、たまにはということで出かけた大和駅の工事写真です。ほとんど今日は相鉄の写真!ですが、あまり懐かしさがこみ上げないのは、昔も今も江ノ島線に縁遠いからかな。
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箱根登山 モハ2形112号

このまえのあじさい電車?と同じときでとらえたモハ112の回送風景です。現在も箱根湯本ー入生田間の回送はあるものの、この112もすでになく、モハ2は大規模更新された108,109,110が残るのみですが、旧型の残党については末永く活躍みたいものです。
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2600形の甲種輸送、高島貨物線をいく

以前に、8連となった2600形の試運転を載せましたが、今回は当時頻繁に行われた2600形の甲種輸送です。小田急江ノ島線をくぐる2600形や高島貨物線を行く光景をめずらしいでしょうかね。

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あじさい号?

箱根登山鉄道のあじさいの話題つづきですが、1990年にはこんな塗装ありましたよね。この車両って、なにか名前ついていましたっけ?ネットで探しましたけど、そもそもこの塗装の写真が見当たりませんで、もしかしてけっこうレア?

Azisai
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そろそろ紫陽花(あじさい)の季節 その2

昨日につづいて同じ場所でのカットです。べつに1990年当時としてもなんてことのない8264Fの新宿行きですが、18年経過した今見ると6連は湯本まで行かないし、この編成もVVVF化されていますし、変化がありますね。この踏み切りもいまも4種のままなんでしょうけど、木製架線柱と手書きの踏み切り表示がいい味だしてます。自分の中では8000形は新しいと思っていますが、当時はばっちり新しいと思っていた座席赤い後期車でも20年が経過し、時の流れは速いものです。箱根登山鉄道のベルニナ1000はおまけです。こいつの「小田原」表示も拝めなくなりましたな。
8000azisai
Berunina

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そろそろ紫陽花(あじさい)の季節

あと10日で6月、そろそろ、あじさいの季節ですね。小田急のあじさいといえば箱根登山線ということで、NSEとあじさいの写真を。登山線らしくて、ちょっといい感じと自画自賛。

Nseazisai

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工事開始直後の相模大野駅をロマンスカー前展望から

90年代までの相模大野駅の記憶も自分の中で遠くなりつつありますね。

Oono

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快速表示

今日は、5200形の快速表示です。たまたま足柄駅で写真撮っていたら回送列車の車掌さんがだしてくれました。それから後は、誤表示で2、3回見ただけで、結局快速のコマには快速急行が入ってしまって幻となってしまいました。

Kaisoku

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2600形8連と1000形8連の試運転

今日は、2600形の8連の試運転です。たしかこの編成が最初の8連だったハズで衝撃の8連改造のはじまりと結局6連より先に廃車というころころかわる車両計画に翻弄されるはじまりでもありました。まぁ、このあとさらに衝撃のVVVF改造編成2666Fの登場となりますが、このときすでに30年選手の2600形をいまさら改造というのは????とおもっていました。結局全検も受けずに6年で廃車になりはっきりいってこの車両計画は失敗だったんでしょう。ただ、8連は加速抜群の6M2Tだからという以外にも減速時の回生失効時の衝撃も穏やかだった気がしてちょっと好きでした。
とはいっても、やはり2600形は各駅停車向ケ丘遊園行きで経堂で急行退避している光景などが一番似合ってましたね。いまでもそんな写真見るとちょっとセンチメンタルな気分になったりします。
というわけで、2600形8R最初の試運転と同アングルの最初で最後の1000形8Rの1081Fの試運転時の写真を。。。。どちらも新車!の強烈なオーラを持ってました。

2600odawara
1081odawara

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メトロ&江ノ島号

江ノ島線の夏の臨時列車といえば、小田急の風物詩のようなものでしたが、最近はあまり電車で海水浴ということもはやらないせいか、あまり活発ではないようです。
90年代は、臨時列車は花盛りでして、綾瀬から江ノ島行きの臨時列車もありました。10両とも江ノ島行きだったのですが、江ノ島線内は10両化されていない時代、なんと大野切り離しで江ノ島線内は続行運転でして、藤沢と帰りの江ノ島では同じ列車が並ぶ珍事となりました。

Metroeno1
Metroeno2
Metroeno3
Metroeno4

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東北沢駅とSE車

東北沢駅を通過するSE車です。SE車が重連であること以外、当時は何のことはなかった風景ですが、地下化工事も本格化し、仮線仮駅となった今、なつかしい記憶となりました。

Sehigashikitazawa

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TBSラジオハイキング

1991年秋にTBSラジオハイキングという企画があって、新宿から電車貸し切って弘法山に登ろうという内容でした。私も参加しましたが、完全ラジオ中継されており、かなりの参加人数だったと思います。で、列車は新宿地下ホームにはいる上り急行の折り返し回送を利用して鶴巻温泉まで団体専用として運転され(後ろ4両は大野切離し)、帰りは秦野から新宿まで6連で運転されました。
単発の企画にかかわらず立派なヘッドマークが用意されました。(切り離される後ろ4両の分もありました)
Tbs1
Tbs2
Tbs3

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土砂崩れにあった2600

ロマンスカー de にへら〜さんに、以前、衝撃写真とともに公開されていた多摩線の土砂崩れですが自分も印象に強く残っています。当時、高校生だった自分は、多摩線を利用していました。1991年10月11日夜、ニュースを何気なく見ていると小田急多摩線で土砂崩れに列車がつっこんだとの情報が。事故現場は永山の手前ということで、速度も出ている区間であり嫌な予感と、翌日の通学をどうするかという現実問題が。幸い、奇跡的に大きな負傷者もなかったわけですが、翌朝は当然不通。朝は町田周りで通学し、帰りは京王相模原線に迂回しました。場所が場所だけに京王線からも丸見えで、車体切断という衝撃の光景がありました。ということで、京王線車内からのスナップがこれ。ネットで公開されている御歴々ほど当時雨の中での行動力がなくこの写真しかないです。。。
まぁ、最古参の2600形が事故車であったこと、この時点では発表にはなっていなかったものの8連化の構想もあっての現場解体だったんでしょうけど、衝撃の光景でしたよ。
このあと、未更新車との混結、8両化、で結局8両化編成から早く廃車されるなど運命に翻弄されていく2600形の序章だったかもしれません。
しかし、復旧後もかなり長いこと、この事故箇所は通過する時、飛び跳ねるような乗り心地だったことを思い出します。

2600jiko

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経堂の主、SE車

経堂検車区とそこの主「3000形SE車」の写真です。いまとなっては想像すらできない光景で、すべてが懐かしく、いもむしのように新宿へ向けて出庫していくSE重連は愛らしいですね。

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Kyodose2
Kyodose3

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トンネル通過!

いつも、記録写真ばかりなのでたまにはこんな写真を。(小田急永山の新宿方のトンネル内です。NSEから撮影)
Tonnel_3

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大和駅仮ホームと南林間駅待避線

今日は、実はあまり撮影していなかった江ノ島線の写真から。ということで、湘南マリンエキスプレスを大和駅と南林間駅で撮影したものですが、急行10両編成化対応前の江ノ島線で当時あった南林間駅の待避線や工事中だった大和駅の様子など何気なく撮ったんですが、今となっては南林間駅の待避線にLSEがいること以前に待避線があること自体が過去の思い出です。

Lseminamirinkan
Lseyamato
Lseyamato2

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更新前の5000形

きょうは、更新前の5000形です。今でも多くの編成がどっこい元気で走っている5000形ですが、さすがにあと数年でしょうね。この写真は片瀬江ノ島駅で5000形をなにげに撮ったものですが、今となっては更新前のなつかしいものとなりました。はっきりいって車内は特に今よりも老朽化してるように見えます。まぁ、いまの更新改造後の車内は結構きれいですからねえ。そういえば、4連の江ノ島急行もなくなって久しいですなぁ。
しかし、片瀬江ノ島駅は変わらないですねえ。もしかして小田急の駅の中でも雰囲気がかわらない筆頭かもしれません。

5000enoshima
5000syanai

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HiSE10000形ブルーリボン賞受賞の時

HiSE10000形のブルーリボン賞受賞の時の写真です。10000形はいまも十分に輝きを維持していると思いますし、自分の中では「新しい車両」ですが、廃車が始まっているんですよね。

Hisebl1
Hisebl2

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ある日の新百合ケ丘

ちょっと写真の整理が進まないのでその辺にあった写真から。べつになんてことはない、コントラストが強すぎて暗部が沈んでしまっている失敗写真ですが、更新前の3100形、その後幾度と増築改修が繰り返される前の新百合ケ丘駅とただそれだけでもなつかしいものです。

Shinyuri3100

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371系営業開始前の試運転の頃、そして足柄駅(小田急)からの発車!

いまだ予備なし状態であさぎり運用以外などあり得ない371系ですが、営業開始前の試運転はかなり長いこと行われました。残念ながら1991年の冬はカメラ絶不調でまともな写真ないのですが、その中から多少見れるものと貴重なものをアップします。
渋沢ー新松田間はいまでも珍しいものではないですが、かなり見にくいですが、試運転表示です。
駅員さん記念撮影は本厚木での1枚です。
酒匂川橋梁を通過する371系は珍しいでしょう。
そして、最後はJRではなく小田急の足柄駅を小田原に向けて発車する371系です。ここに入線することは異常時くらいなもので、このあとの入線実績もほとんどないでしょう。

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3712
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地上時代の狛江駅のホーム

以前、狛江駅の旧駅舎の写真を紹介しましたが、ホーム側からの写真が出てきたので載せます。はっきり言って今見ると「どこの田舎の駅や!」という感じなことが驚かされます。とくにホーム屋根の短さや跨線橋の貧弱さこんな感じやったっけという印象です。といっても個人的には狛江は友人と駅前の東秀でメシ食べたことくらいしか思い出ありませんが、この写真の踏切が警報機無視の無謀な横断が多くてよくグルグル(ってなんていうんでしたっけ?)が回っていたこと、8両化で延伸したホームがすごくチャチだったこと、海側の立派なロータリー(ただしバス少なし)と駅には近づかない山側のバス、みたいな印象の中途半端な存在の駅でした。いまは立派なロータリーを備え、高架下店舗も含めて都会の駅になってますね。

Komae

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着工時の喜多見検車区と喜多見付近の仮線

いまではすっかり変貌した喜多見付近の地上仮線時代の写真と喜多見検車区の着工時の広大な敷地の俯瞰写真を載せます。着工時の検車区の敷地は広大な空き地でしたが、写真の重機が立っているあたりはちょっと前までテニスコートでした。この写真、当時知り合いのいた検車区北側のマンションから撮っていますが、今同じ角度で撮影すると人工地盤や遠くの高架線などがどのように見えるか興味あるところです。あと、このころは喜多見付近も駅部含めて仮線に移っており、今にも「建設中!」という感じでした。

Kitamikensyaku
Kitamikaisen
Kitamikarieki

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海老名のデハ1406とデニ1303

今日は海老名にいたデハ1406とデニ1303です。もともとデハ1406は経堂で教習車としてながいこと本線から見えるところにいたので目立つ存在でした。経堂検車区廃止で海老名に移ってきた訳です。今回の2枚は実は撮影年月日は5年くらい違いまして、デニのほうは1987年くらいで、デハ1406のほうは1993年です。ネットでもこの2両が並んだ写真があるように実際1991年の1年間くらいは並んでいました。並んだ写真は取り損ねました。
しかし、わざわざ経堂から持ってきたくらいですから保存するつもりだったんでないでしょうか。それなのに結局2両とも解体されてしまい、非常に残念でなりません。たぶん、いちぶでウワサされた博物館計画が流れたことも起因しているのかもしれませんが、いま、屋根の下に本線とつながった、またはつなげられる線路上に、2600,3000,3100,9000形が保存され、たまに公開されていることを考えると余計に残念です。まぁ、保存される車両が増えたことを感謝すべきなのかもしれませんけど。
しかし、デニ1300は私が小学生の時分、世田谷区に住んでいたときに日曜日も朝方に2両で下っていく姿をよく見かけて、強烈に印象に残っています。リアルに小田急の荷物列車を知っている最後の世代でしょうね。

Deha1406
Deni1303

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LSEの試運転(たまには定番ポイント)

昨日のLSE試運転ですが、普段はちょっと変わったアングルが多いのでたまには黒川の定番ポイントの写真も載せちゃいます。全検上がりのピカピカのLSEですが、今走っているリバイバル塗装との違いがわかりますね。

Lsekurokawa

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LSEの試運転と新百合の引上線のHiSE

最近の旧塗装のLSEを見ると窓周りに多少の違和感を覚えながらも懐かしいものです。(新塗装も嫌いではありませんが)ということで、LSEの試運転の写真です。実はHiSEが新百合ケ丘の引上線にいるところもポイントでしてなんかの臨時列車だったハズですが、資料が手元になくちょっと不明です。たしか新宿から江ノ島までの臨時で日中は新百合まで戻って夕方また江ノ島までいってから臨時特急につくような内容だったような。(この写真のつづきをスキャンすればわかりそうですが、また後日)しかし、HiSEの方が先に廃車が始まるなんてこのときは想像もしませんでした。1991年

Lse4000hise

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旧渋沢駅

きょうは、旧渋沢駅です。1991年の写真なのです。1991年といえば個人的感覚ではつい最近ですが、20年近くも前なんですねえ。今は立派な橋上駅ですが、この写真、相当ローカルムードで今見直してちょっとおどろきです。

Shibusawa

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旧多摩川橋梁を行く

ロマンスカーからの展望での多摩川橋梁通過です。通常、気恥ずかしくていくら前展望とはいえバシバシ写真を撮ることははばかれますが、一昨日の例の江ノ島発唐木田経由経堂行き湘南マリンエクスプレスのおかげで、ほぼ列車独占状態だったので撮影できました。てなわけで、ちょうど反対から9000形が接近中です。通過表示灯が凛々しいですね。私は9000形引退のときは小田急沿線に住んでおらず未だに9000形が走っているような気がして仕方ありませんよ。
さて、本題の旧多摩川橋梁も懐かしいですね。橋を通過するとき、橋上の踏み板が振動する ジャジャン ジャジャンという音が今も耳の奥に残っています。

Tamagawabrdg

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SE車の車内と、ごく日常のある日のあさぎり

昨日のNSEに続いてSE車の車内です。あさぎりの運用でまだ置き換えの話も具体化する前の「日常」の姿のSEの車内です。町田過ぎるとあさぎりも空いてきて、こそっと写真撮ることもできました。ついでにその時撮った、ふつうのあさぎりの松田駅での写真もつけておきます。ところでこの写真の松田駅もものすごくローカルムードですけど、いまもこんな感じ?
Sesyanai
Secub
Sematsuda

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NSEの車内

当時、NSEといえば7編成もいたこともあって、珍しい存在ではなく、それほど撮影対象にしていませんでした。実際、今ネガを見直しても極端に写真が少ない。今思えば、もっと撮影しておけば良かったとも思っていますが、学生の自分にはフィルム代もバカにならなかったので仕方なかったでしょうな。
ということで、少ないNSEの写真の中から、車内を撮影したものを掲載します。これ、なんと営業列車の途中駅での撮影です。以前にも書いた通り、多摩線の臨時特急湘南マリンエクスプレスに江ノ島ー藤沢ー新百合ー唐木田ー成城ー経堂 という経路のものがあって、3回進行方向かわる列車だった訳ですが、当然、江ノ島から成城、経堂にはあきれるほど時間がかかるのでほとんど乗り通す人がいなく、唐木田からは回送状態でした。ということで撮影し放題となり、なんとなく車内撮影をしたものです。今見ると、当時あれほど当たり前だったNSEの車内がものすごくなつかしいです。ちなみにこの列車、喫茶の営業がなく手動ドアの扱いで車掌が結構バタバタだったのを覚えています。なにせ当時でも手動ドアの列車なんてほとんどほかになく、普段ロマンスカーに乗らない人はまさか手動だなんて思ってもいなかったようで。
結局、NSEはあまり撮影しないまま引退しちゃいましたが、短縮されたとはいえ喜多見に保存されていることがうれしい限りです。(開成のもだけど)

Nse1
Nse2
Nse3
Nse4

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SE車唐木田にて(ヘッドマーク交換シーン)

一昨日の江の島鎌倉エキスプレス号の唐木田駅到着の写真です。(もちろん、一昨日とは別の日の写真です)まだ開業間もない唐木田で、駅も真新しい感じです。ここまで乗ってくる乗客は「鉄」くらいなものでした。
ついでに、あまりネットでは見かけないSE車のヘッドマークの交換シーンも載せておきます。

Karakidase1
Karakidase2

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モハ1とデキ1030

開業60周年の1987年に多摩センターでモハ1の展示会がありました。今もほとんど外に出てこないモハ1なので貴重な機会でした。デキ1030(ED1031)は牽引+おまけ的な存在でしたが今見るとこれまた貴重ですね。ちなみに3日間多摩センターの3番線に留置された訳ですが、これで支障がない時代だったわけで、このおかげで営業列車ではほとんど入線しない1番線にバシバシ列車がはいってました。(朝の貴重な冷房車2600形の運用の下り列車は4番線入線でした。ちなみにこの2600は多摩センターに下った後は向ヶ丘遊園まで回送してから各停になるという、いまではあり得ない通勤時間帯の上り回送でした)

Moha1
Ed1031

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SE車多摩線を行く!!!!!

江の島鎌倉エクスプレスで多摩線(永山=>多摩センター)を行くSE車です。この写真、この前と振り返って陸橋の反対で後打ちしていますが、明らかにSEの方が速いです。はっきり言って当時この区間は京王に全敗状態でしたが、このときは特急車の意地にかけてカッとんでいたのかもしれません。ただ、小田急の信号方式の宿命で多摩センター駅場内のY現示で40km/hくらいまで落とすもんでそこで抜かれてしまったんでしょうけど。。。

Sekeio6000

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唐木田開業日

唐木田開業の日の写真です。車庫を跨ぐ陸橋もなければ、駅前も見事に何も無しです。有人ラッチがなつかしいですね。ちなみに開業日から有効の通学定期券を持ってました。結構貴重?


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Karakidak3

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新百合ケ丘に向かうSE

きょうは、新百合ケ丘駅への坂を上るSE車です。ここもマンション増えてこの角度はいまは厳しいかな。

Sefukan

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大野工場の奥にいたワ11とワ12

大野工場の一番奥に1990年ころまでワ11とワ12がいました。いつのまにかいなくなってしまったのですが、電車からよく見え、気になる存在でした。ちなみにその手前には入換用デト1の予備的存在のデキ1051がいました。

Oonokasya1
Oonokasya2

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成城ー喜多見間複々線化高架化工事開始の時

成城から喜多見にかけての下り坂は自転車で行ける距離に住んでいたこともあって、工事前の風景も強く印象に残っています。写真は富士見橋から撮った定番スポットです。まぁ、富士山写ってないのでいまいちですが。。。前面表示は見にくいですが6両で通過表示灯ついているので準急ですね。やっぱり通過表示灯あるとちょっと締まった感じですね。まぁ、そのOTC化された時代にその表示が必要がどうかは疑問でしたが。。。
もう一枚は、喜多見側から下り急行を撮ったものです。山側で工事始まっています。というか「逆十両」です。なにげに小田原方が4連です。当時数本あった気がしますが、相模大野から4連になるわけでいくら日中とはいえ「4連でいいのか?」という感じでした。

Seijokitami1
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秦野たばこ祭号

きょうは臨時特急秦野たばこ祭号です。この頃は、こういったシール型ヘッドマーク全盛でした。まぁ、この写真の列車、シールの貼り方汚いですが。。。このころは趣味的にこんなシールでも貼っていなければLSEは撮影対象外でしたが、今見れば、「ほんものの」旧塗装はなつかしいですね。
なお、写真は停車目標なく秦野駅で手旗で停車するLSEと、足柄で間合いをとるLSEです。足柄の草むらもなつかしいですね。

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ホキフ300+ホキ300

小田急にもホキがいました。正直言ってほとんど実車の印象がないし、走行しているのもみたことないですが、ホキフ301のカラー写真ってあまりネット上では見かけないので写真アップしてみます。
もちろん、写真は相武台前駅の定位置です。

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OTCと運輸司令所

大野にある運輸司令所は見学会も少なく、あまり写真もみかけません。写真はOTCのパネルなどをある見学会のときに撮ったものです。よく見ると現在の複々線区間はもちろん、唐木田もない時代でした。

Otc1
Otc2

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建設中の唐木田車庫

唐木田車庫の建設中の写真を公開します。しかし、今の状況から見てもわかるとおり、ものすごい土工量で盤下げしています。個人的にここまで盤下げしなければならなったんだろうかとよく思います。
まぁ、そのおかげで素直な線形になっている訳で長い目では良かったのかもしれませんが。。。
しかし、線路もありませんが周りに清掃工場と大妻以外何もない時代です。といっても開業時もたいした建物ありませんでしたが、、、その辺りはまた今度公開します。

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3000形SE車のハイキングエクスプレス

多摩線のSE車に執心していたことは前に書きましたが、それ以外でもSEの重連の臨時となるといそいそと出かけていました。写真は秦野行きだったハイキングエクスプレスですが、正直この列車どんな企画だったすら覚えていませーん。まぁ、当時秦野停車の特急は定期ではなくそれだけでもめずらしいものでした。(ちなみに写真の通りサボに急行札入れっぱなしで、この列車が特急かどうか怪しいですが。。。)
もちろん、重連のときのA/B号車の表示などSEの思い出は懐かしいですが、旧駅舎時代の空の広かった秦野駅のホームもすごく懐かしいものです。秦野駅の下りホームは昔から有効長があり、10両化の際にも上屋新設と表面的な改修のはずですが、なんだかイメージが全然違いますね。しかし、横を行く当時の新車HiSE10000形すら存在が危ぶまれるご時世、年取ったものです。。。。
*:ちなみに1枚目の写真の右側の小屋のあるあたりに線路と直角方向に向いた信号機があってナゾだった記憶あります。いつの間にやら無くなったのですがなんだったんだろう???
Hikexp1
Hikexp2
Hikexp3

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湘南マリンエクスプレス

個人的に、多摩線の臨時特急への思い入れが強く、とくに3000形SE車は特に強いものでした。このころはすでにあきらかにSEは老朽化しており、あさぎりの置き換えも発表されている時期でした。そんななか、多摩線のレジャー特急の設定は大きな話題でした。多摩線の各駅のパンフは偽ることなくSEの写真を使ったものでそれがまた良い感じだった記憶があります。写真では反対ホームから注がれる好奇の眼差しがいいですね。

Sme1
Sme2

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ツリカケ4000形の終焉

いまは4000形といえば、千代田線直通車両の時代。しかし、私が小学生のころはツリカケで大騒音とともに疾走していました。このころは5連で都心区間の各駅停車にはいる運用もあり好んで乗っていました。そんな中、ある日2600形だと思って乗ったら新性能化4000形だったときは衝撃的でした。
それからはあまりツリカケに乗った記憶はなく、わたしが高校生の頃まではツリカケが残っていましたが、写真のように相武台前で昼寝をしていることがほとんどでした。
しかし、新性能化された4000形は運転室撤去して中間車化された車両もありましたが、それとわからないほどの出来で趣味的にはつまらないなぁと思っていた記憶があります。そういえば、ツリカケ4000形といえば基本的に例の1800形併結脱線問題から他形式と連結しませんでしたが、ウワサではダイヤが乱れたときに1度8000形と連結して急行運用に入ったといわれていますが、本当だったんだろうか?

Tsurikake4000

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2400形の車内

引き続いて2400形の話ですが、大型車の2600形以降とは明らかにちがう見附でした。幅の狭い車体割に奥行きのあるシートで座っている分にはいいですが、確かに狭い車内でした。運転席うしろのシートもなつかしいですね。ところで、運転席うしろの戸袋はルーバーになっていました。冬はアルミ板が間に挟んであって風がこないようにしてあります。
ちなみに、この車両はドアの内側も塗りだし、網棚も本当に網ですが、更新車はこの辺りは更新されて2600のようになっていました。ただ、更新は中途で終わって最後まで残った1編成は未更新車でした。

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2400形HE車の最期

2400形の記憶といえば、自分は多摩線で通学していたため、ほとんどが多摩線だ。ただ正直あまり好きではなかった。大型10両の快速が走る京王線を横目に中型非冷房の2400はあまりにみすぼらしかった。後に日中の多摩線の3運用のうち1運用が大型4両になり5000形が来るようになってからは選んで「新型」5000の列車を狙っていたほどだ。しかし、今思うと2400は座席は広く独特の乗り心地で、もっと親しんでおけば良かったのかもしれない。気づいたら最期の1989年を迎えていた気がする。土曜急行に入ったり優等運用も晩年までちょこちょこあり、都心区間の小駅が6両までだった時代、朝経堂から遊園まで回送しそこから各停本厚木行きになるHE8連もあったりしましたが、選んで避けていた気がしていまとなってはちょっと悔やまれます。
写真はHE車引退時のものです。特に座間駅での海老名から大野までの回送のショットは本当に本線走行最後のもののはずです。

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5000形の白幕「唐木田」表示

廃車のすすむ5000形ですが、前面行先表示は手動表示幕時代は白幕でした。この写真はこの後来る湘南マリンExpのついでに撮った1枚ですが、今見ると同じ5000形でも妙に古い感じがします。なにより、唐木田開業のときはすでに5000形の表示装置も改修が始まっていた気がするので「唐木田」表示は結構貴重なのかも。まぁ、唐木田開業日も運用入っていたので写真は多いでしょうが。。。
ところで多摩センターもいつの間にやら待避線なくなって棒線になっちゃいましたね。多摩センターでHiSEのBL賞授与式やらモハ1の展示会やらあったのがなつかしいです。

Karakida5000

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連続立体交差化・複々線化事業(狛江区間)

1990年前後の小田急といえば、連続立体交差化・複々線化事業がたけなわでとにかく、いつも工事をしていました。しかし今見ると「どこだっけ、ここ?」と思うほどの変貌だし、地上時代の狛江駅舎ってこんなこじんまりしてたっけ?とおもうほど小さな駅舎で20年ぶりくらいに自分で撮った写真を見て驚いてます。写真は地上時代の狛江駅舎と高架工事中の喜多見ー狛江間です。


Komaesta

Kitamikomae

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足柄の専売公社専用線跡

足柄駅にあった日本専売公社小田原工場専用線は1984年に廃線になっていてそのとき小学生の自分は現役時代は全く知らない世代です。ただ、その後数年は線路も残っていました。インターネット上では木製の架線柱が残っている写真はよく見るものの、レール自体が残っていた時の写真はあまりないように思います。今回の写真はレールがあった最晩年のころかと思います。

Tabako1

Tabako2

Tabako3

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SEの湘南マリンエクスプレス多摩線を行く

1990年前後といえば、SE車の現役晩年で趣味的にはひたすら追いかけている時期でした。特に多摩線の臨時特急は趣味的に面白く、江ノ島から唐木田経由成城学園前or経堂行きなんて列車もありました。写真は多摩線を行く湘南マリンエクスプレスです。いまの「はるひ野駅」あたりですが、あり得ないくらい風景が変わっています。

Smexpress

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唐木田延伸のころ

1990年といえば、唐木田が開業した年だ。ちょうど高校に多摩センターから通っていたこともあって、かなり多摩線には思い入れがある。唐木田については高架が立ち上がる前から写真撮っていたので車庫造成中などの写真もあったけど、今回の写真は開業直前の試運転写真。上り線から唐木田に入線しているところがポイント。多摩センターー唐木田間で単線並列的に試運転していた時期でした。


Karakida1

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1990年前後の小田急の記憶

わたしは1990年前後は学生でした。いまではほとんど鉄道写真は撮らないけど、この頃は熱心に撮ってました。まぁ、駄作ばかりですが、今となってはそれなりに貴重な記録もあります。ネットではあまり公開されていないものもありますし、写真保存のためフィルムスキャンをはじめたついでに徐々に公開でも始めようかという次第。
写真は、まずはトフ104の手押しから。まぁ、トフ104も、小田原の連絡線も、ツリカケどころか新性能化4000形もいまはなく、4000形といえば千代直の時代。写真は1988年頃、新性能冷房化のための甲種輸送時のもの。もう20年も前か。それほど前に感じない自分は年取ったものだ。
Tofu104

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