連続立体交差化・複々線化事業前の梅ヶ丘駅
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
今日は成城学園前駅です。個人的に思い入れの強い駅でもあります。この写真は1988年くらいなのですが、まだ上りホームも上屋の延長もされておらず、点字ブロックも6両分だけなどかなり懐かしい写真です。今見ると上りホームの小田原寄りはこんなにも狭かったんだ!とかおもいますね。停車中の電車が3列車とも2600形なのもいい感じです。当時はなんとなしに撮ったスナップですが、こういう写真があとあと結構印象的になったりするものです。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
昨日に引き続き大井川鉄道です。大井川&小田急と言ったらSEは外せないので家山駅留置中のSEを載せておきます。当時でもすでに休車に近い状態だった気がします。思えばこのとき小田急に戻していれば海老名にはこいつが入っていたでしょうな。(未更新だった訳ですから。)
ところで、大井川鉄道といえば個人的にずっと気になっていることがあります。それが2枚目の写真です。これは千頭駅の東側(川側)にあった側線でのSL動態保存の様子ですが、正直、当時から小田急バカであった自分としてはさほどこいつに興味はなく適当に撮った1枚なわけですが、これが以外にネット上にもあまり情報もなく、側線はいったいどんなものだったのか、いまは日本工業大にいるB6が大井川で動態保存されていたときはここを走っていたはずですが、そのあとにこのような形で継承されていたのか、さらに写真にも写っているように762mmとの3線軌条となっており、写真の手前には西武山口線からきたっぽいバッテリーロコとその客車が置かれていました。いったい、ここの区間をどうするつもりだったんでしょう。ホント記憶が飛んでいます。まぁ、ここも駅前整備で道路となってしまっています。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
以前に逆10両の件は書きましたが、その逆10両は、相模大野から先は4連の急行小田原行きとなりました。いまではほとんどの急行が10連のまま小田原まで行く時代ですが、多くが6連急行時代の当時は日中でも結構混んでおり、海老名ー本厚木間などはものすごい混雑のこともありました。で、そんななかにこんな4連急行が来る訳ですからそれはそれはすごいことになっていました。いまでは相模大野ー本厚木間で4連急行などはありえないわけですが、1990年代までこんな奴が残っていたのですから時代を感じますね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
そろそろ、ブログ更新を再開しようかと準備中だったりしますが、とりあえずリハビリということで、何でもない写真を。開成ー栢山間を走る8000形6連の急行ですが、このまえひさしぶりにこの区間を乗ったのですが、すごい変わりようですなぁ。もちろん、開成に留置線があることは頭で理解していても実感はないし、だいたい留置線ある側はこのころは通路自体閉鎖されてましたからねえ。
この広い空と田んぼがすごく魅力的な区間だったんですけどね。
そういえば、ここから富水くらいまでの区間は直線部も最後までロングレール化が遅れた区間でその割に速度出るところだから結構アルストムリンク台車の独特の揺れと振動と音が印象に残っていたりします。
ここを快調にカタンカタンと走る8000形がけっこうお気に入りだったんですけど、すでに8000形も6連は大多数はVVVF化され、別形式?みたいですし、そんなちょっとしたことも記憶の彼方でしょうか。
しかし、ここで撮影した5000形4連の急行の写真はどこにいったんだか。。。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ここのところ、SEばかり載せているので調子に乗って、あとちょっと。伊勢原駅での20000形RSE試運転列車を追い抜くSEあさぎりはご覧の通り、冬の雨の日に通過列車を撮影するという最悪の条件でしたがなんとかISO1600のフィルムでおさえた1枚です。20000形試運転とSEあさぎり営業列車との離合を捉えることはサンデーカメラマンには簡単なようで以外と難しかった記憶があり、わたしもこんなものしかありません。当然このときも、RSEが伊勢原駅のホームをはみだすことは当たり前であるため(ホームは6両対応でしたから)駅撮りも無理で、踏切からのアングルもここしかないこと承知でこれに挑んでいますが、今見るとこんな写真もいい思い出かな。
そういえば、このころはまだ伊勢原駅の貨物ホーム側の線路も健在でしたなぁ。いまはどうなっているんでしたっけ?
のこりの2枚はおまけですが、連絡急行時代のあさぎりは小田急の乗務員で運転してたんですよねえ。これって、けっこうすごいことな気がしますね。



| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
前回紹介した写真は雪で延期になった前日の写真ですが、今回の写真は本当にラストランのイベントのときのものです。正直、「さよなら」系の大騒ぎになるイベントは嫌いなのですが、SE車となると別問題でいろいろと悩んだ結果、混乱状態になりそうな新宿駅や有名撮影場所は避け、個人的な勝手な印象「晩年のSE車=多摩線」ということで多摩線の穏やかそうな場所。栗平付近で撮影しました。今回の写真はあえてトリミングなどしていませんがこの辺りでの撮影者はあと2、3人でした。最近はちょっとしたイベントでも殺伐としているとの話もありますがどうなんでしょうね。
そして、イベント後の経堂への回送を黒川の有名ポイントで撮影しました。確かこのときは3人くらいしか撮影者はおらず、平和そのものでした。わたしとしてはこの写真がSE車走行風景最後の撮影でした。
ご覧のようにSE車を追いかけてきた者として、SE車引退はポッカリ気持ちに穴があいた感じがしたものです。ただ、さよならの混乱が起きる前に連絡急行として「普通に」あさぎり運用についていた頃を知っていることは、幸せなことだと思っています。一度、海老名のSE車を見てみたい気もしますがイベント混雑すごいみたいですし、なによりSE車は思い出のなかにあってこそかも。。。。

| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
以前に海老名のデハ1406とデニ1303を紹介しましたが、荷電でも今日の写真は結構レアじゃないかと自分では思っているものです。東急車輌の正門は現在では写真撮影禁止らしいですが、当時は禁止だったかもしれませんがあまりうるさいことは言われませんでした。
1000形の新造甲種輸送のある数日前にたまたま東急車輌に行ってみると1000形が表から見えるところまで出てきていました。おまけに貫通扉の帯がまだ未施工で最後の仕上げといった感じでしたし、今はなき「快速」表示でした。(快速表示は工場のシャレかな?)
しかし、見るべきところはそれだけではなく、元小田急デニ1301こと入換車モニ105がめずらしく出てきている状態でした。ということで「小田急1000形と1300形の奇跡の並び」ということで今見ても結構貴重かと思っています。なにせ3年後にはモニ105は解体されていますし、モニ105自体の写真をあまり見かけませんしね。まぁ、現役当時から忘れられたというか、影の薄い存在の車両でした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日の下北沢通過に引き続いて、RSEのブルーリボン賞受賞のときの写真です。個人的には今でもあまり好きではない20000形ですが、とりあえずイベントごとなんで押さえていました。前面表示が「BR賞」「祝」の交互表示になっているところがポイントですね。



![]()
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
このまえのあじさい電車?と同じときでとらえたモハ112の回送風景です。現在も箱根湯本ー入生田間の回送はあるものの、この112もすでになく、モハ2は大規模更新された108,109,110が残るのみですが、旧型の残党については末永く活躍みたいものです。

![]()
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
以前に、8連となった2600形の試運転を載せましたが、今回は当時頻繁に行われた2600形の甲種輸送です。小田急江ノ島線をくぐる2600形や高島貨物線を行く光景をめずらしいでしょうかね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は、2600形の8連の試運転です。たしかこの編成が最初の8連だったハズで衝撃の8連改造のはじまりと結局6連より先に廃車というころころかわる車両計画に翻弄されるはじまりでもありました。まぁ、このあとさらに衝撃のVVVF改造編成2666Fの登場となりますが、このときすでに30年選手の2600形をいまさら改造というのは????とおもっていました。結局全検も受けずに6年で廃車になりはっきりいってこの車両計画は失敗だったんでしょう。ただ、8連は加速抜群の6M2Tだからという以外にも減速時の回生失効時の衝撃も穏やかだった気がしてちょっと好きでした。
とはいっても、やはり2600形は各駅停車向ケ丘遊園行きで経堂で急行退避している光景などが一番似合ってましたね。いまでもそんな写真見るとちょっとセンチメンタルな気分になったりします。
というわけで、2600形8R最初の試運転と同アングルの最初で最後の1000形8Rの1081Fの試運転時の写真を。。。。どちらも新車!の強烈なオーラを持ってました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ロマンスカー de にへら〜さんに、以前、衝撃写真とともに公開されていた多摩線の土砂崩れですが自分も印象に強く残っています。当時、高校生だった自分は、多摩線を利用していました。1991年10月11日夜、ニュースを何気なく見ていると小田急多摩線で土砂崩れに列車がつっこんだとの情報が。事故現場は永山の手前ということで、速度も出ている区間であり嫌な予感と、翌日の通学をどうするかという現実問題が。幸い、奇跡的に大きな負傷者もなかったわけですが、翌朝は当然不通。朝は町田周りで通学し、帰りは京王相模原線に迂回しました。場所が場所だけに京王線からも丸見えで、車体切断という衝撃の光景がありました。ということで、京王線車内からのスナップがこれ。ネットで公開されている御歴々ほど当時雨の中での行動力がなくこの写真しかないです。。。
まぁ、最古参の2600形が事故車であったこと、この時点では発表にはなっていなかったものの8連化の構想もあっての現場解体だったんでしょうけど、衝撃の光景でしたよ。
このあと、未更新車との混結、8両化、で結局8両化編成から早く廃車されるなど運命に翻弄されていく2600形の序章だったかもしれません。
しかし、復旧後もかなり長いこと、この事故箇所は通過する時、飛び跳ねるような乗り心地だったことを思い出します。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
以前、狛江駅の旧駅舎の写真を紹介しましたが、ホーム側からの写真が出てきたので載せます。はっきり言って今見ると「どこの田舎の駅や!」という感じなことが驚かされます。とくにホーム屋根の短さや跨線橋の貧弱さこんな感じやったっけという印象です。といっても個人的には狛江は友人と駅前の東秀でメシ食べたことくらいしか思い出ありませんが、この写真の踏切が警報機無視の無謀な横断が多くてよくグルグル(ってなんていうんでしたっけ?)が回っていたこと、8両化で延伸したホームがすごくチャチだったこと、海側の立派なロータリー(ただしバス少なし)と駅には近づかない山側のバス、みたいな印象の中途半端な存在の駅でした。いまは立派なロータリーを備え、高架下店舗も含めて都会の駅になってますね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日は海老名にいたデハ1406とデニ1303です。もともとデハ1406は経堂で教習車としてながいこと本線から見えるところにいたので目立つ存在でした。経堂検車区廃止で海老名に移ってきた訳です。今回の2枚は実は撮影年月日は5年くらい違いまして、デニのほうは1987年くらいで、デハ1406のほうは1993年です。ネットでもこの2両が並んだ写真があるように実際1991年の1年間くらいは並んでいました。並んだ写真は取り損ねました。
しかし、わざわざ経堂から持ってきたくらいですから保存するつもりだったんでないでしょうか。それなのに結局2両とも解体されてしまい、非常に残念でなりません。たぶん、いちぶでウワサされた博物館計画が流れたことも起因しているのかもしれませんが、いま、屋根の下に本線とつながった、またはつなげられる線路上に、2600,3000,3100,9000形が保存され、たまに公開されていることを考えると余計に残念です。まぁ、保存される車両が増えたことを感謝すべきなのかもしれませんけど。
しかし、デニ1300は私が小学生の時分、世田谷区に住んでいたときに日曜日も朝方に2両で下っていく姿をよく見かけて、強烈に印象に残っています。リアルに小田急の荷物列車を知っている最後の世代でしょうね。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
ロマンスカーからの展望での多摩川橋梁通過です。通常、気恥ずかしくていくら前展望とはいえバシバシ写真を撮ることははばかれますが、一昨日の例の江ノ島発唐木田経由経堂行き湘南マリンエクスプレスのおかげで、ほぼ列車独占状態だったので撮影できました。てなわけで、ちょうど反対から9000形が接近中です。通過表示灯が凛々しいですね。私は9000形引退のときは小田急沿線に住んでおらず未だに9000形が走っているような気がして仕方ありませんよ。
さて、本題の旧多摩川橋梁も懐かしいですね。橋を通過するとき、橋上の踏み板が振動する ジャジャン ジャジャンという音が今も耳の奥に残っています。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
当時、NSEといえば7編成もいたこともあって、珍しい存在ではなく、それほど撮影対象にしていませんでした。実際、今ネガを見直しても極端に写真が少ない。今思えば、もっと撮影しておけば良かったとも思っていますが、学生の自分にはフィルム代もバカにならなかったので仕方なかったでしょうな。
ということで、少ないNSEの写真の中から、車内を撮影したものを掲載します。これ、なんと営業列車の途中駅での撮影です。以前にも書いた通り、多摩線の臨時特急湘南マリンエクスプレスに江ノ島ー藤沢ー新百合ー唐木田ー成城ー経堂 という経路のものがあって、3回進行方向かわる列車だった訳ですが、当然、江ノ島から成城、経堂にはあきれるほど時間がかかるのでほとんど乗り通す人がいなく、唐木田からは回送状態でした。ということで撮影し放題となり、なんとなく車内撮影をしたものです。今見ると、当時あれほど当たり前だったNSEの車内がものすごくなつかしいです。ちなみにこの列車、喫茶の営業がなく手動ドアの扱いで車掌が結構バタバタだったのを覚えています。なにせ当時でも手動ドアの列車なんてほとんどほかになく、普段ロマンスカーに乗らない人はまさか手動だなんて思ってもいなかったようで。
結局、NSEはあまり撮影しないまま引退しちゃいましたが、短縮されたとはいえ喜多見に保存されていることがうれしい限りです。(開成のもだけど)
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
成城から喜多見にかけての下り坂は自転車で行ける距離に住んでいたこともあって、工事前の風景も強く印象に残っています。写真は富士見橋から撮った定番スポットです。まぁ、富士山写ってないのでいまいちですが。。。前面表示は見にくいですが6両で通過表示灯ついているので準急ですね。やっぱり通過表示灯あるとちょっと締まった感じですね。まぁ、そのOTC化された時代にその表示が必要がどうかは疑問でしたが。。。
もう一枚は、喜多見側から下り急行を撮ったものです。山側で工事始まっています。というか「逆十両」です。なにげに小田原方が4連です。当時数本あった気がしますが、相模大野から4連になるわけでいくら日中とはいえ「4連でいいのか?」という感じでした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
多摩線のSE車に執心していたことは前に書きましたが、それ以外でもSEの重連の臨時となるといそいそと出かけていました。写真は秦野行きだったハイキングエクスプレスですが、正直この列車どんな企画だったすら覚えていませーん。まぁ、当時秦野停車の特急は定期ではなくそれだけでもめずらしいものでした。(ちなみに写真の通りサボに急行札入れっぱなしで、この列車が特急かどうか怪しいですが。。。)
もちろん、重連のときのA/B号車の表示などSEの思い出は懐かしいですが、旧駅舎時代の空の広かった秦野駅のホームもすごく懐かしいものです。秦野駅の下りホームは昔から有効長があり、10両化の際にも上屋新設と表面的な改修のはずですが、なんだかイメージが全然違いますね。しかし、横を行く当時の新車HiSE10000形すら存在が危ぶまれるご時世、年取ったものです。。。。
*:ちなみに1枚目の写真の右側の小屋のあるあたりに線路と直角方向に向いた信号機があってナゾだった記憶あります。いつの間にやら無くなったのですがなんだったんだろう???



| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いまは4000形といえば、千代田線直通車両の時代。しかし、私が小学生のころはツリカケで大騒音とともに疾走していました。このころは5連で都心区間の各駅停車にはいる運用もあり好んで乗っていました。そんな中、ある日2600形だと思って乗ったら新性能化4000形だったときは衝撃的でした。
それからはあまりツリカケに乗った記憶はなく、わたしが高校生の頃まではツリカケが残っていましたが、写真のように相武台前で昼寝をしていることがほとんどでした。
しかし、新性能化された4000形は運転室撤去して中間車化された車両もありましたが、それとわからないほどの出来で趣味的にはつまらないなぁと思っていた記憶があります。そういえば、ツリカケ4000形といえば基本的に例の1800形併結脱線問題から他形式と連結しませんでしたが、ウワサではダイヤが乱れたときに1度8000形と連結して急行運用に入ったといわれていますが、本当だったんだろうか?
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2400形の記憶といえば、自分は多摩線で通学していたため、ほとんどが多摩線だ。ただ正直あまり好きではなかった。大型10両の快速が走る京王線を横目に中型非冷房の2400はあまりにみすぼらしかった。後に日中の多摩線の3運用のうち1運用が大型4両になり5000形が来るようになってからは選んで「新型」5000の列車を狙っていたほどだ。しかし、今思うと2400は座席は広く独特の乗り心地で、もっと親しんでおけば良かったのかもしれない。気づいたら最期の1989年を迎えていた気がする。土曜急行に入ったり優等運用も晩年までちょこちょこあり、都心区間の小駅が6両までだった時代、朝経堂から遊園まで回送しそこから各停本厚木行きになるHE8連もあったりしましたが、選んで避けていた気がしていまとなってはちょっと悔やまれます。
写真はHE車引退時のものです。特に座間駅での海老名から大野までの回送のショットは本当に本線走行最後のもののはずです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント