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大井川鉄道のSE車と千頭駅東側側線の謎

昨日に引き続き大井川鉄道です。大井川&小田急と言ったらSEは外せないので家山駅留置中のSEを載せておきます。当時でもすでに休車に近い状態だった気がします。思えばこのとき小田急に戻していれば海老名にはこいつが入っていたでしょうな。(未更新だった訳ですから。)
ところで、大井川鉄道といえば個人的にずっと気になっていることがあります。それが2枚目の写真です。これは千頭駅の東側(川側)にあった側線でのSL動態保存の様子ですが、正直、当時から小田急バカであった自分としてはさほどこいつに興味はなく適当に撮った1枚なわけですが、これが以外にネット上にもあまり情報もなく、側線はいったいどんなものだったのか、いまは日本工業大にいるB6が大井川で動態保存されていたときはここを走っていたはずですが、そのあとにこのような形で継承されていたのか、さらに写真にも写っているように762mmとの3線軌条となっており、写真の手前には西武山口線からきたっぽいバッテリーロコとその客車が置かれていました。いったい、ここの区間をどうするつもりだったんでしょう。ホント記憶が飛んでいます。まぁ、ここも駅前整備で道路となってしまっています。

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大井川鉄道」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
千頭構外側線の三線軌ですが、恐らくはこれ千頭森林鉄道の名残ではないでしょうか?
あくまで個人的な推測でしかないのですけど、隣接する井川線本線は千頭森林鉄道廃止まで三線軌になっていたのは有名ですが、それに関連して構外側線側も同様に三線軌で敷設され、林鉄車両が千頭駅構内まで入り込んでいた可能性が考えられます。

ただ、70年代のB6やコッペルが運転されていた写真を見ると痕跡が見当たらない物と、三線軌が残っているように見える物(http://homepage1.nifty.com/mrslim/ooigawa-021omoide.htm このページの上から6枚目など。ガードレールにも見えるがそれだと敷設位置がおかしい)の両方があり、決定打に欠けます。当時の事情を知っている方に話を伺うのが一番の早道だと思うのですが・・・。

ちなみに、大鉄の元小田急車は3001F、モハ1906どちらも乗車は叶いませんでした。3001Fは運用を外れ家山と千頭で解体待ちの時代、モハ1906は客扱いをしていない状態しか知らないもので・・・。一度だけ、新金谷-金谷間で隣のクハ6052に乗車した事があるのみです。
山口線のBL達も見知ったのは崎平留置時代でしたが、何とこっちは浜松の教会で動態保存中なんですね。

投稿: 影武者 | 2008年9月24日 (水) 05時33分

影武者さん、コメントありがとうございます。
この当時は、今以上に千頭駅は雑多な感じでしたな。
たしかに、井川線は3線軌条だった話はありましたね。わたしも当時、いったいこの3線軌条がどこまで延びていたかは確認しなかったのでちょっと気になっているんですよ。
ただ、山口線のバッテリーロコが堂々と乗っていたので762mmであったことは間違いないのですが。
ところで、そういえば、おっしゃるとおり、山口線の残党が浜松の教会にいるのは以前、どこかで記事見ました。まだあれ、現役!?なんですか。
大井川ではいったいどう使うつもりだったんでしょうなぁ?

投稿: harinashi | 2008年9月24日 (水) 22時56分

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